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中 孝介ウエディング・ソングの新定番!! 配信限定シングル「愛しき人へ」リリース!“NTT東日本 DENPO”CMソング
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「愛しき人へ」
中 孝介「愛しき人へ」

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配信限定シングル
Epic Records
配信開始:2009.10.28
収 録 曲
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01.愛しき人へ
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中 孝介 オフィシャルホームページ
音楽の原点は、耳コピーで始めたピアノ。子供の頃は、楽器に夢中だった。

──中さんと言うと、やはり、シマ唄の印象が強いのですが、中さんの音楽の原点は?
中孝介小さい頃からシマ唄をやっていたわけでないんですよ。音楽の原点と言うとピアノですね。2つ年上の姉がピアノを習っていて、そのレッスンに母と一緒について行き、聴こえてくるメロディーを耳コピーして、家のピアノで弾き出した。それが原点ですね。5〜6歳の頃だと思うんですけど。それからずっと耳コピーでピアノを弾いてました。譜面が読めるようになったのは、小学校の高学年になって吹奏楽部に入ってからですね。ずっとピアノは好きだったので、中学に上がる直前に、先生について個人レッスンを始めるようになったんですけど、中学生になったら、部活も忙しくなってきて・・・。
──部活は何を?やはり、吹奏楽部とか?
バレーボール部に入ったんです。
──ええっ、ピアノをやっているのにバレーボール部?
そうなんですよ。ピアノの先生には内緒にしてたんですけど。結局、バレまして、まぁ、気をつけてやりなさいよ、という事でお許しを貰って(笑)。ピアノは大好きなんですけど、僕は元々、耳コピーからピアノを始めたので、クラシックの色々なルールがちょっと窮屈にもなってきて、高校に入ってからは、バレーボールの方に夢中になっちゃった。ピアノ以外にも、吹奏楽部のころに、管楽器、フルートとか買って吹いたりしてて。とにかく、楽器が大好きな子供でしたね。

シマ唄との出会いは、高校1年生の時。初めて、元ちとせさんのシマ唄を聴いて、衝撃が走った!

──シマ唄との出会いは?
高校1年生の秋だったんですけど、たまたま行ったコンサートに、当時高校3年生だった元ちとせさんがゲストで出ていたんです。その頃、彼女はもうシマ唄の名手として奄美では有名人でしたから、僕も名前は知ってたんですけど、歌は聴いたことがなかったんです。そこで初めて、シマ唄というものを聴いたんです。奄美でずっと歌い継がれてきた民謡で、三味線を弾きながら、一人で歌ってたんですけど、もう、聴いた瞬間から、衝撃が走りました。スゴイ!カッコイイ!
──何がそんなに衝動だったのでしょう?中孝介
琴線に響くと言うか、何とも言えない感動でした。奄美には“なつかしゃ”という言葉があるんですけど、昔を懐かしむという意味だけじゃなくて、郷愁感というような意味もあるんですよね。人と人の愛着だったり、故郷とか家族を想う時の感情だったり、キレイな景色を見て美しいと思うとか、音楽を聴いて感動する気持ちとか、そういう心の奥底の記憶を刺激するような感情・・・まさに人の琴線に触れる、そいう時に“なつかしゃ”と言うんですけど、まさに、その“なつかしゃ”だったんです。僕はその時16歳だったんですけど、子供の頃に遊んでいた公園とか海とか川とか、そういうものが自然と浮かんできて、16歳なりに、どうしようもなく懐かしい気持ちになったんですよね。シマ唄が持っている、そういう力に圧倒されて、尚且つ、それを歌っているのが自分と2歳しか違わない同世代の人だというのも衝撃でした。
──それまでは、シマ唄に対しては、どんな印象を?
シマ唄と言ったら、おじいちゃん・おばあちゃんが歌うものと思ってました。若い時って、伝統的なものをダサイものとして見ちゃうところがあるでしょう。そういう感覚でしたね。でも、元ちとせさんの歌は、そういう既成概念を全て吹き飛ばして、とにかく素晴らしかったし、カッコ良かったんです。

シマ唄に魅了され、寝る間も惜しんでシマ唄を聴きまくり、CDに合わせて歌っているうちに、自然とシマ唄の唱法が身についていた。

──それで、自分も歌ってみたいと?
いやいや、そんな自分が歌えるものだなんて全く思わなかったです。とにかく、その時は、シマ唄をもっともっと知りたくなって、居てもたってもいられなくなっちゃったんですね。奄美のCD屋さんには、シマ唄の歌い手さんのCDがたくさん売られているんですけど、それを手当たり次第に片っぱしから聴いていきました。もう、ほんとに毎日、寝る間も惜しんで聴いてましたね。17〜18歳のころです。それで、CDに合わせて歌っているうちに、自然と歌えるようになってきた。だから、シマ唄をいつから始めたとか、そういう感覚はないんですよね。
──そこから、本格的に?
地元の大会に出てからですね。毎年5月に“奄美民謡大賞”というシマ唄の登竜門的な大会があって、誰でも出れるので、高校3年生の時に、初めて出場したんです。そこで、努力賞をいただいて。それからですね、本格的になっていったのは。“奄美民謡大賞”では、3回目の出場の2000年に新人賞をいただいて、その年に、日本民謡協会の奄美連合大会で総合優勝もして、その頃から、シマ唄の唄者として、結婚披露宴に呼ばれたり、奄美の物産展のイベントに出演したり、そういう活動も増えていきました。琉球大学に進学したので、その頃は、沖縄に住んでいたのですが、沖縄民謡の人たちとの交流も生まれて、ますますシマ唄と深く関わるようになっていきました。

シマ唄から、奄美文化への興味が生まれ、それを継承していく事の大切さを知った。そんな想いから始まった、奄美大島シマ興しプロジェクト“島ぬ宝”。

──今年から、奄美大島シマ興しプロジェクト“島ぬ宝”も始まりましたね。
いま、ヴォーカリストとしての自分があるのも、その原点はシマ唄ですし、シマ唄を通じて出会った人達のおかげ。だから、僕なりに、奄美の役に立ちたいと思って。
──奄美をより多くの人に知ってもらいたいと?
そうなんです。実は、奄美って、あまりよく知られていないんですよね。沖縄に近いと思ってる人も多いんですけど、実は、鹿児島と沖縄のちょうど真ん中くらい。文化圏は沖縄寄りなんですけど、言葉は九州弁に近い。シマ唄も、歌詞は沖縄民謡と同じ、八八八六調の30音(日本の民謡は七七七五の26音)なんですけど、音階は日本の民謡の音階。琉球と九州の文化が混じり合った、ほんとに独特の文化が形成されているんですよね。“奄美大島県”と言うがあってもいいんじゃないかと思うくらい、不思議な場所で(笑)。いま、こうやって、全国規模で活動する中で、より多くの方に、奄美を知ってもらえたらと、ツアー・グッズとして、奄美特産の黒糖を使った生キャラメルとか、伝統工芸の泥染めで作ったエコバックを作ったりしています。
──もし、シマ唄に出会ってなかったら?
子供の頃は、大人になったらゼッタイに東京に出ようと思っていたし、きっと、故郷を顧みないヤツになっていたと思います(笑)。
──シマ唄で、人生が変わりましたね。
ほんとにそうですね。でも、僕の場合は、それがシマ唄だったわけですけど、奄美には今、僕と同世代で、僕と同じような想いの人が増えているんですよ。奄美の風土について研究していたり、泥染めやってたり、紬をやっていたり。
──そういう方達が、年を重ねるに連れて、更に大きな力になっていきますね。
そうです、そうです。それを次の世代に見せていく事・・・強制するんじゃなくて、見せること。それが大事なんだと思います。

これから先も、色々な歌を歌っていきたい。いい歌を継承していくこと。それも、ヴォーカリストとしての僕の使命だと思っています。

中孝介──中さんは、伝統ある神社仏閣を会場としたライヴも多く、それがとても印象的なのですが。
2006年に、池上本門司で行われた“Slow Music Slow LIVE”というイベントに出演したのがキッカケだったんですけど、僕の音楽の世界観というのを汲み取っていただいて、全国のお寺や神社から呼んでいただく事が多くなりました。
──今年は、世界文化遺産の上賀茂神社、姫路城でもライヴがありましたね。
世界文化遺産は、2007年の厳島神社、2008年の白川郷に続けて、今年は上賀茂神社、姫路城を会場にライヴをやらせていただきました。その他、去年は出雲大社にも行きましたし、今年は明治神宮でもやらせていただきました。あの雰囲気というのは、ホールでは絶対に出せないですね。僕自身も、歌っていてすごく気持ちがいいし、観に来てくださる方も、とても反応が良くて。
──やはり、独特のものがありますか?
ライヴを始める前には必ず祈祷するのですが、身が引き締まりますね。歌を奉納させていただくという気持ちになります。シマ唄も何百年も続いてきたもので、僕は、それを生かして現代の新しい音楽をやっているわけですけど、長い歴史や伝統のある場所でのライヴというのは、受け継いでいくもの・・・伝承、継承の大切さを改めて感じます。
──伝承、継承という点では、カヴァー曲も同じではないですか?
そうなんですよね。例えば、前回のシングル「空が空」では、美空ひばりさんの「愛燦燦」をカヴァーしたんですけど、この曲は、僕らの世代がギリギリ記憶しているという感じだと思うんですよ。僕らより若い世代は知らない人が多い。僕は、やっぱり、知らない世代の人たちに、いい歌を継承していくというのも、歌い手の使命だと思っているんですね。
──では、これからもカヴァーを?
自分が大好きだった歌を、改めて自分の作品として聴いてもらえるというのは、すごく光栄な事だし、うれしい事なんですよね。これからも、ジャンルにこだわらず、色んなタイプの曲を歌っていきたいし、ロック系のアーティストともコラボレーションしてみたい。僕自身の音楽の幅も広げていきたいですし、ずっとずっと、いい歌を歌い継いでいきたいと思います。

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November 4, 2009
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