──2012年、ゆずはデビュー15周年を迎えました。この15年間はどんな期間になりましたか?
北川悠仁(以下、北川):10周年を越えてからのこの5年間は、それまでの期間とは大きく違う気がしていて。特に作品づくりという意味ではほんとに濃い5年間になりました。新たなゆずのオリジナル、新たな代表曲を模索しながら制作し続けてきて、その手応えを感じることが出来た期間でしたね。
岩沢厚治(以下、岩沢):単純に15年という数字を考えると、すごく長い時間がたったんだなという気がするのですが、ゆずに置き換えると、節目節目で区切りをつけながら活動してきているので、“10周年”という区切りから5年たったという感覚なんですよ。ここまで15年という感じじゃなくて、1個前の区切りから5年たったというのが実感ですね。
──10周年の時に“マラソンの給水ポイントみたいな感じ”と言っていましたが、今回も次の給水ポイントみたいな感覚なのでしょうか?
岩沢:そんな感じですね。今回も給水してる感じはあります。節目ごとに振り返って来れたのが良かったと思います。
──ベストアルバム『YUZU YOU[ 2006-2011]』には『リボン』『WONDERFUL WORLD』『FURUSATO』『2-NI-』という4枚のアルバムからの楽曲が入っています。新たな段階に突入したという印象も受けましたが?
北川:10周年が大きかったと思うんですよ。さらにゆずを素晴らしいものにしていくためには、何が必要なんだろうと考え始めた時期で、分岐点のひとつだったのかなと。枚数的にも成果を出せていたし、アリーナも回れていたし、レコーディングのやり方もいい意味でルーティン化してきた部分があって、1つ掴めた感じはあったんですけど、同時に、これをやり続けても新しいものが生まれないんじゃないかという危機感も芽生えてきていて、新たなゆずの形を模索していた時期でもあった。そのタイミングでSAKURA STUDIO(ゆずのプライベートスタジオ)が出来たことも大きかったと思います。
──SAKURA STUDIOがもたらしたものというと?
北川:音楽から遠くなっていたところがあったのが、グッと近くなりましたね。それまではみんなを招集するところから始めなきゃいけなかったのが、じゃあちょっとSAKURA STUDIOでやってみようかって、ふたりでゆずのコア作りをする拠点となった。
岩沢:“ゆずってこうだよな”という確認の作業をSAKURA STUDIOに入り浸って出来たのが大きかったですね。そういう作業を通じて、ゆずはこれは得意だよな、でもこれは苦手だな、これは出来ないなってことを知っていった。だったら、ゆずなりにどうプロデュースしていくべきか、新しいゆずの鉄板を編み出していった時期になった。10年経たゆずがさらにゆずになっていくというか。
──ゆずを極めるというような?
岩沢:かっこよくいえばそんな感じなんですかね。10年目ぐらいまでは課題を与えてもらって、それをクリアしていくというやり方だったんですよ。それはそれで、僕らなりにどう乗り切っていくかの勝負ではあったんですが、10周年以降は我々が自分達でゆずなりの課題を見つけていく時期に突入した。“次はどうしましょうか?”と誰かにお伺いをたてるのではなく、“こんなことをやったらおもしろいんじゃないか”と、より自発的に活動し始めた。プロデューサーありきではないというか。デビュー当時の僕らは、呼人(寺岡呼人)さんがいてくれなかったら、右も左もわからないままだったと思うんですよ。呼人さんから色々と教わって、吸収させてもらって、10年やってきて、やっとゆずがゆずをプロデュースする段階に入ることが出来た。それをこの5年間やりつづけてきたという。もちろんその間にも色んなプロデューサーの方に関わっていただきましたが、ゆずの根底にある土台固めをやってきた5年だったなと感じていますね。
──自分たちの弱点も含めて、見つめ直すのはかなりストイックな作業でもあったのではないですか?
北川:ストイックな部分もあるにはあるんですが、SAKURA STUDIOでのやりとりって、ゆず実験室みたいな感じもあって。このハモりがおもしろいねとか、発見も多かったんですよ。これは多分自分達でしか出来ないだろうっていう発見の瞬間をたくさん体験した。きつい部分もあったけど、それよりもともかく作業自体が楽しかった。きっとそういうものに飢えていたんじゃないかな。コア作りの時期に亀田誠治さん、同世代の蔦谷好位置君など、色々なプロデューサーの方々と出会ったことも大きかったと思います。
──ふたりで核の部分を固められたからこそ、コラボレーションが生きてくるということでもあったのでしょうね?
北川:蔦谷くんとのやりとりにしても、真剣勝負のような感覚がありましたね。お互いにパートナーでもあるし、ライバルでもあるというような感覚。音楽でぶつかりあっていくということですよね。お互いにきつい部分もあったし、引かない部分、譲れない部分もあったけど、それぞれの個性が噛み合った時に、想像を超えていく瞬間をいくつも体験した。小田和正さん、ユーミンさん、久石讓さん始めとして、素晴らしいアーチストの方々とコラボレーションさせていただく機会が多くなって、刺激を受けたことも大きかったですね。
──そこから受けた刺激を、どのようにゆずに反映させて、進化させていったのですか?
北川:SAKURA STUDIOを作った時の僕らのテーマはゆずとして自立するってことだった。ゆずとしての基礎を固めることでより自由になろうと。ゆずって何かなって考えた時にやっぱり歌なんだという結論に達したんですよ。ゆずの歌、ゆずの声を作ることが大きなテーマとなった。自分がいいならいいという基準もあるけれど、同時に、聴いてくれた人がたまたま耳にした時にもいいと思ってもらえるものを追求したいという気持ちも強くなった。目指すはオリジナルでありながら、普遍性を持った精度の高いポップソング。
──歌とともに、ギターもゆずの個性のひとつとなっていますが?
岩沢:ギターももちろん大事な楽器だし、大事な音のひとつではありますね。譜面に起こして、同じに弾くことは出来ると思うんですが、それだけじゃない部分がある。歌を歌うようにギターを弾くというか、ゆずの歌を生かす弾き方というか。ゆずよりも上手いプレイヤーはたくさんいますけど、ゆずの歌を深く理解しているからこそのプレイというのがまた別の次元としてある。音色にしてもカッティングにしても、ゆずがこの歌でやるなら、こういうのが合うなっていう独自の感覚があるんですよ。その曲に合わせた上で、さらに自分の好きな音だったら最高にいいなって。そういうところにもより気を使うようになってきましたね。
北川:結局、時間なんだと思います。音楽に費やしてる時間が10周年までと全然違いますから。10周年までは、もうちょっと俗にいうミュージシャンらしいミュージシャンだった気がする(笑)。3か月ツアーをやって、オフが2か月ぐらいあって、そろそろやるかって始まって、3か月ぐらい集中してアルバム作って、3か月ぐらいツアーに回るというシンプルなサイクルだった。でも自分たちで自分たちをプロデュースするようになってからは、ずっと繋がっているし、ひとつひとつのことをより丁寧にやるようになった気がします。
──音楽を作る責任感、使命感がより強くなっているということ?
北川:ゆずをより信じてる感じはありますよね。ゆずならもっといいものを作れるはずだろう、もっと人のやっていないことが出来るだろうって。
──聴く人に対する意識として、変わってきたことはあります?
北川:そこは路上をやってた時からあまり変わらないのかなって思いますね。自分達の歌って、聴いてくれる人の中で生きて初めて完成という感覚があるんです。その根本的な所は変わっていない。より色濃くなったということなんじゃないかな。それとそこで大事になってくるのが時代性なんじゃないかなって思うようになってきた。自分が伝えたい想いは変わってないけれど、時代の移り変わりに伴って、サウンドは刻一刻と変化していくものだろうなって。そこを無視していた時期があって、自分はこういう感じでいいんだって思ってたんだけど、10周年を越えたあたりから、色んな人にゆずの音楽を聴いてもらいたいという思いが強くなってきて、時代はどういう方向に進んでいるんだろう、カルチャーはどう動いてるんだろう、世界はどうなってるんだろうってことを考えるようにはなってきました。
──東日本大震災が起こって、“ゆずの音楽が支えになりました”というリスナーの声も耳に届いたと思います。ゆずの音楽の果たしている役割の大きさをより自覚するようになったという部分はありますか?
北川:「栄光の架橋」や「Hey和」で救われましたと言ってもらったりしたんですが、そういう思いがさらに自分の背中を押してくれるというか。純粋に音楽に触れることが自分の喜びでもあるんだけど、自分たちの音楽を楽しみにしてくれてる人達の思いが自分を駆り立てるところはありますね。以前よりもリスナーの人と向き合えている気はします。いいものを作れば届くと信じているので、いいものをという気持ちはより強くなっていますね。
岩沢:聴き手がいないことには僕らの音楽は成り立たないので、いてくれてありがとうっていうか。“楽しいライブをやれて、楽しい”ということも、元はと言えば、来てくれた人が喜んでくれてなんぼなんだなって実感してますね。震災以降、色々な場所で歌う機会が増えたんですが、歌わなきゃという使命感みたいなものの裏側には、聴いてくれる人の存在があるわけで。“聴かせてくれ”という人がいるからこそ、“じゃあ歌わせてくれ”ということになって、ライブが成立する。去年はそんなことを教わった気がします。